MALE SVATONOVICE
マーレ・スヴァトノヴィーチェ
2019.08.14

<概要>

 Male Svatonoviceは人口約1500人の小さな町ですが、Karel Capekの生まれた町として名を知られており、 Muzeum Bratri Capkuという小さな(チャペック)兄弟博物館があります。弟Karel Capek(カレル・チャペック、1890年1月9日 - 1938年12月25日)は劇作家、ジャーナリスト。兄Josef Capekは画家・作家でナチス・ドイツの強制収容所で無くなっています。

<見所>

 Karel Capekは戯曲『ロボット』(R.U.R.)において、「労働」を意味するチェコ語「robotaロボタ」(もともとは古代教会スラブ語での「隷属」の意)から ロボット という言葉を作ったと言われるが、彼自身は兄ヨゼフが作った言葉だと主張しています。代表作『R.U.R.』、『山椒魚戦争』はSFの古典的傑作とされ日本語にも訳されています。小説『山椒魚戦争』と戯曲『母』ではアドルフ・ヒトラーとナチズムを痛烈に批判している。そのためにチャペックはゲシュタポ内では『チェコ第二の敵』として危険視されます。ゲシュタポは1939年3月15日、ドイツがプラハを占領した際に、いち早く彼を逮捕するためにチャペック邸に乗り込んでさえいますが、その前年に彼は死亡していました。

 Josef Capekはオーストリア=ハンガリー帝国のボヘミア地方(後にチェコスロバキアを経てチェコ共和国)のフロノフに生まれ、13歳で学業のため家族と離れ、20歳でKarelと再会して以降は画家としての活動に留まらず、Karelとの共著で多くの舞台劇や短篇の物語(主に児童書)、批評文を執筆したり、また、カレルの著作を含めた多くの書籍の装丁や挿絵を手がけました。1921年、カレルと共にプラハの「Lidov? Noviny 紙」に入社して紙面の風刺漫画を担当しましたが、ナチズムとアドルフ・ヒトラーに対する際どい批判により、ドイツがチェコスロバキアに侵攻した1939年に逮捕・収監され、1945年4月、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で亡くなりました。

 博物館の受付の男性にどこから来たのかを聞かれて「日本」と答えるとたいそう感動したようで、つたない英語で、時折英単語を思い出せずに苦労しながらも丁寧にに館内の説明をしてくれました。とても親切な方でした。遠い極東の異国から、郷土の偉人を訪ねてきてくれたことがよほど誇らしく嬉しかったのでしょう。


Male Svatonoviceの町

Muzeum Bratri Capku(チャペック)兄弟博物館

弟Karel Capek像


日本語訳されたKarel Capekの作品

兄Josef Capekの作品(絵画)

R.U.R(ロボット)

ロボットのイメージ


博物館の二階は兄Josef Capekの作品(絵画)


パリの建物らしい、こんなの見たことない


兄Josef Capek
 
Pilgrimage Church of the Virgin Mary(カトリック教会)

Capku(チャペック)兄弟の像

なんだろう?

町のレストラン兼宿SALAMANDR(RESTAURACE A PENSION)

古き時代の写真

付近の観光マップ




<絵葉書>

<絵葉書>

<絵葉書>

<絵葉書>